二つの「価値と意味」

※意味:それを「どう理解しているか」

僕にとっての「価値と意味」
社会にとっての「価値と意味」
#1

 実存じつぞんと一般(2/2)

〜 一般編 〜

こんなことありませんか??

  • 子育てで、「厳しさ」と「許す」
    の境目がよくわからない

  • 人に評価なんて
    されなくてもいい

  • みんなが大事というものに
    価値があると思えない

  • 私がいいと思うものの
    価値を分からない人はバカだ

  • 私の凄さに
    みんな気がついていない

  • 子育てで、「厳しさ」と「許す」
    の境目がよくわからない

  • 人に評価なんて
    されなくてもいい

  • みんなが大事というものに
    価値があると思えない

  • 私がいいと思うものの
    価値を分からない人はバカだ

  • 私の凄さに
    みんな気がついていない

私たちが共に生きるには共通の「価値・意味」が必要不可欠。

変わるべきは
「私?」「みんな?」

「ありのままの、自分になるの〜」そんな歌が流行りましたね。
その一方、「変わらなくちゃ/成長しなくちゃ」というメッセージもよく目にしますね。
一体、誰の何がありのままでよくて、誰が何を変えたらいいのでしょうか?

個性を尊重しながら、変えるべきポイントを理解する補助線

その構造が見えてくるかも?!

私たちは、それぞれに「私の世界」を生きている

前回の「実存」の回で、私たちの現実は、対象への想い・経験・環境や身体によって作られていることがわかりましたね。
例えば、おにぎりを見た時に、「私の世界」の中で立ち上がる「価値と意味」は人それぞれです。

人それぞれの「おにぎりの認識」
実存的な「価値と意味」

それぞれが違う認識をしている

では、一般的なおにぎりの「価値・意味」はどこから来ているの?

みんな、それぞれに独自のおにぎりのイメージを持っているにも関わらず、
なぜ、私たちは一般的な「おにぎり」の価値・意味を共有しているのでしょう。

「 一般 」

「実存(主観)」の交換
からできる「一般(客観)」

私たちはそれぞれ、自分の体験や内面の中で、独自の価値や意味を感じながら生きています。
しかし、その実存・主観的な体験を「言葉」に置き換え、互いに伝え合い、共有することで、
まるで「みんなが同じ世界を見ている」かのような「客観世界」が信じられています

言葉を交わし、お互いの世界観を交換し合う

「一般的な価値・意味」

その中で、多くの人に共有され、受け入れられた価値観は「一般価値・意味」として、みんなに共通了解されています。
例えば「相場価格」や「常識」「人気」「ルール」なども、多くの人の合意や共感によって成立している価値や意味と言えるでしょう。

「実存(主観の世界)」と
「一般(客観の世界)」

私たちは二重の世界を同時に生きています。

違うからこそ、
共通の世界を作っている。

「一般」は正解ではなく、多くの人が「そういうものだ」と思っている平均的な概念です。

「それぞれに違った世界を生きている」

だからこそ、私たちは共通の「言葉」で
意思疎通をとって、共感を作りながら生きていいるのです。

私たちは、それぞれに違った世界を、
一緒に生きているのです。

次回は、「水掛け論の根っこ」を探ります。
相手のことも認めて、自分のこともわかってもらえる、対話のヒントがあるかもしれません。

#2 水掛け論の根っこ

※以下、学問的に興味のある方は、読み進めてくださいね。

人間は言語ゲームによって、固有の生世界を他者と交換し合う

人間の世界は※言語ゲームの世界であり、各人は自己固有の生世界をたえず他者と交換しあっている。

この内的体験の相互的交換をとおして、「主観から主観へとはたらきかける一種の作用」として、すなわち一つの間主観的な信憑(みんなの間で成立している“信じられている状態”)として、客観的に存在する「同一の世界」なるものがすべての人間のうちに成立する。

(※言語ゲームについては下記参照)

言葉の交換によって「固有の価値-意味」が「一般の価値-意味」になる

実存的な価値と意味は、個々人の固有の内的世界に現われる対象に関連する固有の価値と意味として生成する。
しかしこの体験が普遍交換されることで、対象の固有の(欲望相関的な)価値-意味は、対象の一般価値意味となる。

このとき、一個のおにぎりは、私の固有の欲望から自立して、果物一般という客体化された価値と意味として世界のうちに存在するものとなる。 こうした事態のうちに、人間だけが、「実存世界」と「客観世界」という世界の二重性を生き続けることの本質的な理由がある。

ヴィトゲンシュタイン

【 言語ゲーム 】

言語とはそのルールが絶えず変化していく「ゲーム」と理解せよ。

言葉は「固定の意味」が貼りついたものではなく、その言葉を使うもの同士の間で「様々な意味に変容する」もの。

以下、言語のゲーム性がよく現れている例です。

すれ違い:私は「事実の説明」をしたつもりが、相手は「自分を否定された」と取り違える。

意思疎通:長い間一緒にいる人同士は(夫婦・親友・仕事の相棒etc)は、たくさんの情報を共有しているので、「あれとって」っと言っただけで「あれ」の意味がわかる。

今回のおさらい

#2 水掛け論の根っこ
引用・参考(哲学箇所)
竹田 青嗣著
『新・哲学入門』(講談社現代新書)
「第三章 方法としての本質洞察」
をもとに整理・要約しました。